今回は占いそのものには関係ない話で、まあ屁理屈と思いつきのようなものですが、タロット占いの世界を象徴する数は何が最もふさわしいかという話です。
まず前提として数字は無限ですから、「1」から「10」までの間の整数で考えることにしましょう。
さて、ひとつの世界を指す数字として考えられるのは、まず「1」ですよね。
至高の一元論から唯一絶対神の概念を表すに最もふさわしい数字です。
でも「1」には動きがありませんよね。
動きは内包されていますし、変化にも乏しいと言えます。
おみくじのようなワンオラクルの占いにはいいかも知れませんが、変化がキーワードのようなタロット占いに「1」はふさわしくない気がします。
では「2」はどうでしょう。
「2」は二元論の数字。対立と発展。陰陽や対称も表しますね。
タロットに当てはめると何でしょうか。大アルカナカードと小アルカナカードとの関係が「2」でしょうか。
でも大アルカナカードと小アルカナカードは同次元のレベルで捉えるべきではないし、あえて「2」の概念を当てはめると、能動と受動、つまりワンドとソードの「火」「風」とカップとペンタクルスの「水」「地」の関係でしょうか。
でもちょっとこじつけっぽいなあ。
それなら「3」ではどうでしょう。
「3」は安定の数ですよね。その意味では何かの世界を表しているようにも思えます。
ところがタロットの世界に「3」を当てはめようとするとちょっと苦労します。
部分的には例えば大アルカナカードを「1〜7」「8〜14」「15〜21」のグループに分けてみたり、全体を「大アルカナカード」「小アルカナカード(数札)」「小アルカナカード(コートカード)」に分けて考えることもありますが、どうも世界全体を把握するには特殊な分け方のような気がしますね。
そこで「4」です。
西洋の神秘思想の根底にある考え方に、四大のエレメントというものがありますよね。
言わずと知れた「風」「火」「水」「地」のことで、この世のすべての物は、この四つの要素に依って構成されているという考え方に付属するものです。
この四大のエレメントを分析心理学の四つの性格パターンとも結びつけて考える方もいますし、カバラの生命の樹のレベルと対応させ、物事の顕現の段階を説明することもあります。タロットの世界で言うと、それらは小アルカナカードのスート「ソード」「ワンド」「カップ」「ペンタクルス」に対応しますよね。
いろんなところでこの考えが適用できるということは、それだけこの四大が根元的な概念だということができるでしょう。
「4」は数秘術の考えにおいてもひとつの世界の完成を表す数です。
そうなると、この「4」でタロットの世界が構成されると考えた方がいいのでしょうか?
しかし、タロットカードで考えてみても、小アルカナカードの4つのスートだけでは世界が成立しませんよね。
例えば大アルカナカードはどうなるのでしょう?
では「5」も視野に入れて考えてみましょう。
西洋の四大エレメントに近い考えに、東洋の陰陽五行説がありますね。
そこにも四大のエレメントのような、根元の要素、「木・火・土・金・水」が出てきます。
当然こちらは五行ですから5つの要素から成りますね。
私にはここのところが以前から引っかかっていました。
四大と五行、どちらがより世界の様相を表しているのか?
言い換えれば「4」と「5」のどちらが世界の構成要素の数として正しいのか?
タロットとの兼ね合いで考えたらどうなるのか?
実は「5」は魔術を表す数でもあり、ペンタグラムがその象徴です。
これはインドの哲学の影響でしょうが、西洋でもペンタグラムの5つの頂点に対しては四大の「風」「火」「水」「地」にプラスして「空」を当てはめるという考えがかなり広まっています。
人間を表す数も「5」。
こうなると「5」という数で世界は成立するのでしょうか?
「木・火・土・金・水」に大アルカナカードと小アルカナカードを対応させるのは苦しい感じがしますが、「風」「火」「水」「地」という四大に「空」を加えた五大のエレメントにそれぞれ「ソード・ワンド・カップ・ペンタクルス・大アルカナカード」を対応させるとピッタリしますよね。
つまり、「空」というのは、「風」「火」「水」「地」という世界の構成要素が成立する「場」を表すものですから、いわば四大を成立させる土台になるものであり、小アルカナカードに対する大アルカナカードの位置としてはまことに適切だと言えます。
そうなると、五大のエレメンで世界が成立するという考えには、世界の成り立ちそのものを表す大アルカナカードとそれを目に見える形で具体的に表した小アルカナカードという概念がピタリとハマるわけで、タロットカードの構成を説明するにはまことに都合がいいものだと思えます。
ではタロット占いの世界を象徴する数は「5」で決まりでしょうか。
いえいえ、なかなかそうとも言い切れません。
「5」は固くて安定感のある「4」に比べ、アクティブで可能性を内包する数です。
しかし不安定ですよね。
はたして世界とはそんなに安定感のないものでしょうか?
まさか、そんなはずはありませんよね。
「色即是空 空即是色」とはいえ、根元はひとつ。それが神であれ、宇宙原理であれ、究極の心理は不変であると私は思っています。
とすれば世界は本来、調和しているものです。バランスの中に成立し、美しさが根本にあるものでしょう。
そうなるとクローズアップされてくる数は「6」ですよね。
「6」は「調和」「バランス」を表す数だし、何より「5」が人間を表すとすれば「6」は神を表す数です。
ヘキサグラムがその象徴です。
生命の樹の中においても、ティファレト(6番目のセフィラ)はまさに中心のセフィラです。
こう見てくると世界そのものを表す数としてはなかなか都合が良く思える「6」ですが、では構成要素という点で見た場合はどうなるでしょうか。五大の「空」「風」「火」「水」「地」に匹敵する要素が他に何かあるのでしょうか?
それがあるのです。
仏教に六大という考えがあります。
そこには「空」「風」「火」「水」「地」に加え、「識」という要素が加わります。
六大は世界(宇宙)の体を表すとされます。体とは、つまり本質ですね。
この考えに則うと、「空」「風」「火」「水」「地」が物事を成立させる根本要素であるという考えは五大のエレメントの時と同じですが、そこに「識」が無いと物事が成立しようがしまいが、意味が無いということになります。
つまりはどこかの場に何らかの世界があっても、それを認識する主体が無ければその世界は無いのと同じということです。
これは四大や五大、もしくは五行以上にすぐれた思想だと私は思います。
蛇足ですが、この考えはそのまま科学的な思考法にも矛盾無く応用できますよね。
さてそれではこの六大をタロットの世界に適用してみたらどうなるのでしょうか?
「空」「風」「火」「水」「地」はそれぞれ大アルカナカードと小アルカナカードの各スートでですよね。
では残る「識」は何にあたるのでしょうか?
それは言うまでもなく、「占者」です。
タロットはカードだけでは成立しません。それを使い、認識する主体が無ければただの物質なのです。
当たり前ですが、見落とされがちな考えですよね。
また「6」はタロットカードの総数「78」の約数でもありますね。
ちなみに「78」が内包するのは「1」「2」「3」「6」「13」「26」「39」「78」ですが、このうち「26」「39」は13の倍数(「13」が変化したもの)として捉えるべきだと思いますし、この不可思議な働きを持つ「13」は、「6」の媒介によってはじめて「78」を表せるわけです。
また「2」や「3」という強力な数は融合して「6」に成長するもの(2X3=6という単純な構造がある)ですし、「1」「2」「3」を足すと、当然「6」ということになります。
どうでしょう。
こうなると世界を表す数は「6」であるという考えが最もすっきりしませんか?
・・・ということで、結論が出た気もしますが、残る「7」「8」「9」「10」についても駆け足で考えてみましょう。
「7」は「6」に、さらに新しい要素が加わった数ですよね。不思議でやはり「5」と同様、不安定です。「6」の調和をあえて崩したわけですからね。
魅惑的ですが、世界を全体的に把握するには適当でない気がします。
「8」は「4」の二倍、無限のマークにも通じる数で、安定と収縮も指します。つまりこの場合の無限とは能動的なものではなく、多分に受動的な臭いがしますね。
この数でタロットの何かを表すということはあまりありません。(タロットが数の概念と不可分である以上、無関係とは言えませんけどね)
「9」は単体としては最大の数ですね。
「3」の三倍という安定性はありますが、その半面、「10」にひとつ足りないという意味で全体性にやや欠けます。
生命の樹で考えても、この数はマルクトとの架け橋のような数で、「10」を「9」と「1」に分けた場合の対立概念として出てくるような数でもあるわけです。
ですからそれだけで何かの世界を表す数ではないと思えます。
それでは最後に「10」ですが、これは確かに全体性という意味では何かの世界を表すのにふさわしい気もしますね。
ただ、「10」は閉じた数で変化には乏しいですよね。
例えば「6」のように何かのバランスを絶妙にとって存在している、つまりは自他の関係がある数とは違い、すべてを内包してしまい、ジグソーパズルのようにカチッとはまってしまっています。その意味でも一里塚的な意味は大きいのですが、これでタロットの世界を表すという風には私は思えません。
また、さらに蛇足になりますが「10」以上の数でタロットと関わりの深い数を考えると、「13」「14」「21」「22」「54」「78」といったところが浮かびますね。
なかなか数のことを考えてみるのも面白いものですね。
いつかまたこの続きをやりましょう。
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