タロットとカバラ
常日頃、タロットと他の象徴的思想体系との関わり合いについては、あれこれ考えることがあったのですが、つい最近、それについて、ひとつの単純な結論に至ったことがあります。 19世紀のエリファス・レヴィ以降、特にゴールデンドーンの洗礼を受けた思想の中においてはカバラは絶対的な存在感を持っています。 もちろんカバラの思想に則ってデッキを改変していった人たち(ウェイトしかり、クローリーしかり)は、その方がより彼らの魔術作業上都合が良いと考えたためにそうしたわけですが、「タロットデッキを使って占いをする」という意味においてはその行為はどう評価されるべきなのでしょう? じつはカモワン版のマルセイユデッキが登場して以来、ウェイト版系統のデッキが独占状態だったタロット市場(?)にやや動きが見られます。早い話がマルセイユ版を見直そうという動きです。 前述のように、カバラの思想を持ってデッキを改変するにあたっては、「マルセイユ版には受け継がれていた多くの象徴が削除、または変更されてしまった」という事実があるからですね。 まさにカモワン版はそういう部分にフォーカスしたデッキですし、そしてその姿勢は、とてもすばらしいものだと私も思います。このデッキを仔細に研究することによって、本来、タロットが持っていた力を再認識することも、私の経験上、しばしばありますしね。 「タロットの元々の姿、あるいは伝統」に、より忠実なのはゴールデンドーンの魔術師たちが作り上げたデッキやその亜流のものではなく、例えば、マルセイユ版であったり、ビスコンティ・スフォルツア版であったりするのは間違いありません。 ですがここにふたつの考え方があります。 ■ ひとつは… ■ もうひとつは… 以上のふたつの考えによって、現在、私はタロットの解釈にカバラを取り入れることに関してむしろ肯定的な気持ちを持っています。(かつてはタロット伝統の象徴を変えてしまう思想を持ちこむのは問題があると思っていましたが、どうも最近は、そのこだわりはなくなりました) その点で言うと私は、カバラは、例えば仏教がそうであるのと同様に、基準を軽くクリアしていると思っています。 カバラの象徴ともいえる「生命の樹」は、とても応用範囲が広い図形です。それだけで物事の発生から、世界の行く末まで見通します。「神の天地創造」から「オムレツの作り方」までカバーしているのです。 ただし以上のようなことがあったとしても、「タロットを深く極めるにはカバラの研究が不可欠だ」などとは言えません。カバラ以外の思想を持ち込んでもタロットはそれに答えるぐらいのポテンシャルがあるからです。 ただ、それでも「タロットとカバラはその中でも抜群に相性がいい」ということだけは言えると思います。 |
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