以前もどこかで各スートについて考察したことがあったと思いますが、ここで改めてそのことについて考えてみましょう。
ということで、それぞれのスートにはどのような特徴があるのでしょうか?
例えば、西洋神秘思想によく登場する4大エレメントと関連させて考えるとわかりやすいかもしれません。
対応でいうと「ワンド=火」「ソード=風」「カップ=水」「ペンタクルス=地」となります。(まれにワンドとソードの対応が逆になっていることもありますが、私はその説には賛成しません)
また封建時代の職業区分にもつながる、トランプのマークとの関連を見るのも手かもしれませんね。
つまり「クラブ(農民)=ワンド」「スペード(貴族)=ソード」「ハート(僧侶)=カップ」「ダイヤ(商人)=ペンタクルス」という対応です。
もちろん各スートの画に関連する特徴を元に考察してもいいかもしれません。
では、以上のようなことを踏まえて、私なりに4つのスートのイメージを述べてみます。
まず、ワンドはまさに『火』のようなエネルギーを感じさせるスートだといえるでしょう。
具体的にいうと、意思の力です。
物事を押し進め、状況に変化をもたらし、新しい世界を開こうとする外向きのエネルギーを感じますね。(ちなみにエネルギーの向きでいうと、ワンドとソードが外向的、カップとペンタクルスが内向的といえるでしょう)
激しく力強いですが、柔軟性には欠けるかもしれません。
リーダーシップがあり、冒険心も旺盛ですが、ややもすると自己中心的になります。他人の感情より自分の気持ちを優先させやすいのです。
この辺りはワンドのナイトやキングを見ると、納得していただけるかもしれません。
我が強そうですよね。自信に溢れていますが、乱暴そうでもあります。
次にソードですが、これは『風』の速さを持っています。天啓というイメージもあります。
頭の回転も素早そうですし、ニュースにも敏感そうです。気まぐれで、無造作に悪い知らせも運んできそうですね。
事実、ソードのカードには悪いニュースやトラブルに関する意味をもつカードが少なくありません。
過ぎ去る物事の様相を表すスートでもありますね。
基本的に邪悪なわけではありませんが、鋭く人間の心を傷つけるような動きを見せるので、嫌がられることも多いのでしょう。
しかし、どのスートよりも束縛から自由で軽やかなイメージのあるスートでもあります。
唯一、超越者と直接つながるスートでもありますね。
カップは心・感情・気持ち・精神を表すスートです。
よく精神分析の世界で『水』が潜在意識の象徴だと見なされますが、それと共通したイメージがありますね。
「流れる」という言葉がキーワードになるかもしれません。
流動的な状況や気持ちというものをイメージしてみたら『水』というイメージは適切な選択だと思います。
そして最後にペンタクルスですが、これはまさに『地』、「物質」と「物質界」を象徴するものという気がします。
精神的なもの、具体性を持たないものと対立する概念ともいえるかもしれませんね。
その意味で、ソードとは対極にあります。
このスートはよって、この私たちが生きている(と思っている)、この世界そのものをも指します。
カバラの知識がある方なら、10番目のセフィラ「マルクト」だと思えば良いのではないでしょうか。
「最後であり、すべてである」とも言えますね。
あまり言うと概念的過ぎますが、『地』は「ものを生み」「ものを育て」「滅んで帰っていく」場所でもあるわけですからね。
4大エレメントの中では、最も地味な印象ですが、実は最も重要なエレメントかもしれません。特に物質界に生きている私たちにとっては・・・ですね。
以上、スートについて簡単な考察をしてみました。
ところで、最後にヒント。
ワンドとカップは人間の内なる動き、ソードとペンタクルスは人間と外の世界との係わり合いの中に存在するということを考えてみると、占いにおけるカードの解釈の手助けになるかもしれませんよ。
*注1
よく見かける、それぞれのスートの名前の別名です。
ワンド・・・「ロッド、バトン、ステイヴ、スピア」
ソード・・・「アサメイ」
カップ・・・「キャリス、グレイル」
ペンタクルス・・・「コイン、ディスク」
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