(このコラムの内容は書いた当初と現在では私自身の考えがやや変化しているため、2002年4月に改訂しました)
正直に言って私は以前、マルセイユ版を敬遠していました。
素っ気の無いイメージの大アルカナカードの画と、トランプのように無機質な小アルカナカード。
どう考えてもイマジネーションに溢れているとは思えないデッキですからね。
そう考えると、より絵画的でその世界に共感しやすいウェイト版の系統のデッキを長年愛用してきたのも当然だとも思えます。
ですが常にひとつだけ心に引っかかることがありました。
それはもともとのタロットの伝統はウェイト版にはなく、マルセイユ版の中にこそあり、ウェイト版はそれを20世紀になって作り直したものに過ぎないという事実です。
タロットデッキに詳しい方ならご存知でしょうが、ウェイト版とマルセイユ版では画のモチーフこそ共通していますが、画のタッチ、人物の表情、色使いなど細かい点でかなりの相違が見られます。
もちろん小アルカナカードが絵札であるかないかという点も大きな差異ですね。
ですから私はウェイト版が描かれる過程において、いくつかの重要な秘儀的な象徴が失われているのではないかという不安を抱えていたのです。
ウェイト版の「愚者」(左)とマルセイユ版の「愚者」(右)。「杖とその先に結びつけた袋」「まとわりつく犬」などは共通しているが、「向いている方向」「服の色」「太陽の有無」など違いも多い。 |
ところでウェイト版の製作者であるアーサー・エドワード・ウェイトは、優れたオカルティストであり、過去の伝統をむげに踏みにじるようなことはしない人物です。ですからその手によるタロットデッキに関しても、ある程度の信頼はありました。
ですが最近、ふとしたきっかけでマルセイユ版を使うようになって以来、ウェイト版の饒舌すぎる画が、かえってタロットの理解を妨げているという気がしてきました。
特に小アルカナカードにおいて、その傾向があります。
もともとマルセイユ版では、小アルカナカードは単なる数札なので、それぞれのカードの意味を考えるときに、スートの意味と数の意味をクロスさせてみることが必要です。ですがウェイト版では小アルカナカードは絵札ですので、そんな面倒なことをしなくても、画のイメージからそのカードの意味を推し量ることが可能です。
これはタロット占いの初心者にはとてもありがたいことで、実際、このウェイト版を使うことにより、小アルカナカードの理解が進む点も無視できません。
ですが、それも良し悪しなのです。
ウェイト版の小アルカナカードに描かれているイメージはあくまでもアーサー・エドワード・ウェイトが捉えた小アルカナカードの解釈に過ぎません。そのイメージが明確であるためにわかりやすくもありますが、その反面、変化と深みに欠けるきらいが出てくるのも確かです。
また、大アルカナカードについてもアーサー・エドワード・ウェイトは(というよりもゴールデンドーンの系統では)カバラとの対応(さらに西洋占星術との対応)をはかるために「8.正義」と「11.力」の順番を入れ替えています。
今となってはその方が主流となっているので、特に違和感も感じないという方も多いでしょうし、なにせ西洋の神秘思想の総本山ともいえるカバラが後ろ盾になっているせいもあって、むしろそれが正しいとさえ思われているのですが、しかしもともとのタロットの伝統では「正義」が8番目で「力」が11番目なのです。
そうなっていたのには確固たる意味があるに違いありません。たとえ他の思想がどうなっていようが、タロットの世界ではそういう順番に意味があったはずなのです。
またマルセイユ版を使ってみると、先に述べたような問題、つまりウェイト版には継承されていないタロットの象徴もやはり多々あることがわかってきました。
象徴はタロットにおける助詞や助動詞のようなものです。正しい文法で意味を伝えるには不可欠のものなのです。
確かに最近になって作られた創作デッキのほとんどに比べ、ウェイト版は象徴の継承という意味ではきちんとしています。
ですがその親であるマルセイユ版に比べたら、やはり不完全なのです。(伝統から外れているという意味です。タロットカードとしての価値があるかないかという話ではありません。つまりこうとも言えるのです。「ウェイト版はマルセイユ版には無い新しい象徴体系を形成している」と)
マルセイユ版はとっつきにくく、ある意味上級者向けのデッキです。初心者のうちはむしろウェイト版でタロット占いそのものに対する親密度を増すのが得策かと思います。
しかし、マルセイユ版にしかないカードの意味、そこにしかないイメージがあるのも確かです。
私自身においても、タロット占いをより突き詰めようとした時、どうしてもその問題は避けて通れないものでした。
よって私は現在、タロット占いをする時には、しばしばマルセイユ版のデッキも使うことにしています。
今のところ、いつの間にか自分の中に形成されていたタロットに関する先入観を打ち壊すためにもマルセイユ版の使用は有効なように思えています。
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