近代科学的信奉者のおごり

 私がどうも鼻持ちならないと感じているもののひとつに、「科学的思考」というものがあります。

 だいたいこういう言葉を持ち出す者に限って、頭が固く、固定観念の奴隷となっているくせに、自身は容易にそれを認めようとはせず、それどころか自分の説に服さない者を小馬鹿にしたような態度で見るものです。

 こういうことをなぜ私が言うかというと、この一派の者は、科学が(あるいは近代科学が)人類史上最高の思考法であるとし、たとえば占星術などはその科学になり損ねた偽物の科学、もしくは科学以前のものとして「蔑むべき迷信である」とする主張をしがちだからですね。

 タロット占いなどはまだ心理学の延長上にあるものと思うのか、正面切って切り捨てようとはあまりしませんが、データの解析という行為や天文力学との接点をもつ占星術に対しては、まことに容赦がない気がします。

 何だか自分たちの家を土足で汚されたかのごとくヒステリックな態度で攻撃してきますよね。
 こちらが望みもしないのに「疑似科学」であると断じて自分たちの世界との棲み分けをしようとすらします。
 こうなるとほとんど宗教の異端裁判に近いものを感じますね。

 まだ少し心に余裕がある者は「この世の中にはまだ科学が明らかにしていないものがある。今の科学がそれを証明できないからといって、否定すべきではない」などと訳知り顔に言います。
 しかしこれも、実態は意味のない優越感の裏返しに過ぎないんですよね。

 あえて非難を受ける側に足をつっこんでいる者の意見として言わせてもらうと、別に私は、占いを含むオカルト的な物事を近代科学の方法論でもって証明して欲しいなどとは思ってもいないし、第一、科学的な証明などに何の意味があるのかもわかりません。
 元来、「科学」も単に物事を理解するための方便に過ぎません。すべてのものがその世界観の中に存在しているなどと思い上がられては、周りが迷惑します。

 いけない。何だかこちらがヒステリックになってきました。

 とにかく「科学的思考」で理解できない概念や存在は確かにあるのです。
 それはまた、現在の科学の延長上にあるものかどうかということとも別の次元の話です。

 互いが並立していけば良いところを、どうして一方が他方を併合しようとするのでしょう。
 私は頭の固い近代科学信奉者達に対し、ものすごく不信感を抱いています。

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